声が届かなくなった世界の中で。

普段ラジオであまり声を荒げたり強い言葉を使うことは(敢えて面白く話すとき以外は)ない。とはいえ、今日は昨今議論になっている水原希子氏に関する話題で「クズ」などの単語を使った。

別にこうした言葉を使っちゃいけないとは思わない。しかし一方で僕が気になっているのは、強い言葉で批判を強めれば強めるほど、数年前とは逆に「本当に届けたい」相手には声が届かなくなっていることだ。

もう3、4年前になるが、当時の僕は、今後は「感情」がテーマになると思っていた。当時はFBが特定のユーザーのタイムラインに、ポジティブ/ネガティブな投稿をどのようにみせるかを調整することで、その人の感情が変化するといった実験を行っていた時期だった(実験自体は2012年で、それが発覚したのが2013年か14年だった)。簡単にいえば、無意識や直観、また感情的な言葉が人を引きつけることが注目されていた時期だった(ジョナサン・ハイトなどの著作をよく読んだ)。実際それから、今日のようにより感情的な議論が増加した(炎上はその頃からあったが、今のような「炎上芸」のカテゴリーないしタグ化はそれほど世間に浸透していなかったように思う)。

多くの感情的フックを利用することで人々にある種の動員を促進し、自分の主張を支持させること。これがそれなりに効果があったのがほんの数年前。いわゆるノンポリや、政治的意見を模索している人たちに対して、感情的な(かつ論理的でもある)言葉は確かに意味があった。

でもそれから時間が立った今、強い主張は(その内容がどうであれ)一種の「炎上芸」とみられ、意見を異にする人にはあまり言葉が響かなくなっているように感じる。無意識や直観を用いる方法論は今後も研究が進んでいくが、感情的な発言を通した動員が成功するのは、特定のクラスターに限定されるようになった。「炎上芸」がタグ化されたことで、言葉の「内容」ではなく「形式」に人々が敏感になったが故に、形式に飽き飽きし、内容にも関心を払わなくなりつつある。どれだけ感情的で論理的な言葉であっても、強い言葉に辟易しているように思う。

強い言葉を使えば使うほど声が届く範囲が限定される一方、ソフトな響きの言葉もまた届くことがなくなった。こうして言葉が他者に届かず、社会の分断化が極端に進行しているのが現在だ。師匠の宮台先生が『正義から享楽へ』という本を出版したのが2016年末。僕の中で、強度のある言葉が(何度も言うがそれがどれほど正しいものであれ)その有効性を失い、「信じたいことを信じる」人たちにのみ響くようになっていったと感じたのは、丁度この本の出版以降だったように記憶している(つまり2017年からだ)。その意味で、宮台先生の指摘はやはり鋭い。

左右の対立はますます尖鋭化し、左右の内容的な「正しさ」に拘わらず、一線を越えた争いが噴出する。白人至上主義者の行動や思想内容は明確に間違っていると思われるが、かといって白人至上主義者の名前や住所を晒すdoxingを、つまり一般人が一般人のアイデンティティを勝手に暴いていいわけはない(暴き合戦の結果集団リンチがそこかしこで生じている)。理性は内容ではなく形式の型にハマり、形式(白人至上主義者は悪い)が暴走をはじめる(詳しくは僕の記事を参照https://news.yahoo.co.jp/byline/tsukagoshikenji/20170823-00074826/

こう述べてきたが、とはいえ僕は運動家を批判するつもりはない。声が届かなくなったからといって声を出さない、というのも間違いだ、という気持ちももちろんある。だが運動家でもない研究者の立場にある僕にできるのは、「信じたいことを信じる」人たちの意識分析だと思っている。わかりやすい事例では、フランクフルト学派が研究した大衆心理、不安から権威主義に引き寄せられる人々の意識の研究だ。

言葉が届かなくなった社会で、ではどうやって言葉を届けるかといったなら、それは心を開けなくなった人々(僕もその1人かもしれない)の心理を、単に否定するのではなく、よりよく「観る」ことだと思われる。観ても状況は変わらないかもしれない。しかし、アメリカの事例をみる限り、今後は日本でもますます対立が激化する。お前はどちらの立場に立つのかと喉元に剣を突きつけられる時代が来るとしたら、その人の心の働きを理解しなければ対策は立てられないように思う。そしてこうした分析は、残念ながら戦間期に多く行われている。嫌な時代だ。

意見を持つのは大事だが、対立とそれ故のポジションの明確化を(無論それが重要な時が多々あることは理解しつつも)求められる社会は、それはそれで健全ではない。卑屈に政治から逃げるでもなく、敢えて英雄的行為を行うでもなく、そのような時代の分析や、そのような人の「苦しみ」を観る作業も必要だと思う。ということで、最近はアクセル・ホネット等ドイツ批判理論に関する本などを読むことが増えた、という話でした。

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