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Yahoo!ニュース個人に記事を投稿しました。

昨年から更新が滞っていたYahoo!ニュース個人に投稿した。 クラウドファンディングに個人情報を特定する「doxing(晒し)」が登場ーー市民が社会を滅ぼす恐れも (Yahoo.2017.8.23.) これは先日TBSラジオ「 荒川強啓デイ・キャッチ! 』で話した内容をさらに詳しく解説したもの。doxing=晒しは日本でも行われているけれど、doxingのクラウドファンディングサイトをはじめてみたときは、戦慄した。ああ、歯止めがきかなくなったのだと直観して、いたずらにサイトをみせては二次被害になると思い、リンクはつけなかった。 恐ろしいことに、例えばBaked Alaskaはdoxingされ、それに対抗して彼を支援する側がdoxing攻撃者を特定しようとしている。そういえば先日みたNHKの『映像の世紀』では、ガンジーが非暴力闘争を唱える一方、ボースが武装闘争路線に転向したことでそれぞれに道がわかれた事実が説明されていた。 確かに白人至上主義は問題だけれど、それにdoxingで対抗するのはあまりにも武闘派すぎるわけで、暴力はこうして発生してしまうのだと、それも市民の側の自発的な暴力として発生することをまざまざと見せつけられた感じがした。 僕の好きな漫画に『デビルマン』がある。主人公は偶然悪魔の力を得るわけだが、人間のためにその力を使って戦っている。だが物語の終盤で、悪魔に怯えた人々は主人公の家族や友人達を恐怖から迫害する。群衆と化した人々はヒロインを惨殺し、それをみた主人公が、悪魔はお前たち人間だ、と怒るシーンがある。 近代社会は市民と同時に「群衆」を登場させた。群衆は単に群れる人々、の意味に留まらず、理性的個人としての人格を失った、恐ろしい暴徒の集合のように見做される。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言うが、一度悪が措定されると暴力が容易に肯定されるわけだ。これは他国の状況を涼しい部屋でキーボードを打つ自分にも適応される原理であり、状況が変われば僕自身も群衆権力に取り込まれてしまうのではないか、と思ってしまう。 根本的な解決策が見いだせないのだけれど、もしかすると対立を無理やり解消するのではなく、むしろ右翼左翼にかかわらず、ストレスを発散できる場所を、いかに他者に迷惑をかけない形で構築するか、という観点も必要なように思う。かつてネットはそう